カテゴリ:エッセイ( 10 )

春が来た

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今年の桜@新浜公園。

みなさまこんにちは。齋藤です。
さて本日は、先月4月6日に福島民友紙の「みんゆう随想」に掲載されたエッセイ
「春が来た」
を転載いたします。

あっという間にもう季節は初夏ですが……^^;

では、どうぞ。

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春の女神そのふくらかなる唇に呼ばれてたれもたれも空を見る 『湖水の南』


――春ですよお。


 そう、どこからか誰かの声が聴こえたような気がした。少し急いでいた歩みを止めて振り返ったけれど、誰もいない。

 よく晴れた空が明るい。頬に触れる風が、大分やわらかい。阿武隈川の河川敷に植えられた大きな柳の木々も一斉に芽をふいて、しなやかに揺れる無数の枝が淡い緑色に染まっている。ここに歩いて来る途中すれ違った人々はみな、もう真冬用の厚ぼったいコートやダウンジャケットを着ていなかった。家々の庭先に植えられた梅の木はどれもとっくに満開で、咲き始めたばかりの沈丁花もいいにおいだった。毎年開花を楽しみにしている古くて大きな桜の木も、たくさんついたつぼみがずいぶん膨らんでいる。陽当たりのよいところならば、来週中には咲き始めるだろうか。

 そういえば子どもの頃、「入園式」や「入学式」といった言葉に添えられるイラストに決まって満開の桜の花が描かれているのが不思議だった。私が生まれ育った福島市では大体ソメイヨシノが満開になるのが四月も半ばになってからで、いつも「入園式」や「入学式」の頃にはまだ咲いていないからだ。

 その理由がようやくわかったのは、東京の大学に進学した時。四月の上旬、ちょうど大学の入学式の日に合わせたかのように、見事に桜が満開だったからだ。今思うとおかしいのだけれど、桜の開花時期が地域によって違うということを、私はあの時初めて実感として理解できた。そんな私の大学生活のはじめ、一番に仲良くなった友人は盛岡出身だったが、彼女にこの話をしてみたら「私も同じこと考えてた!」と言って笑った。その後四年間、彼女とはずっと仲がよかった。


――春ですよお。


 また、誰かの声が聴こえたような気がした。辺りを見回してみたけれど、やはり誰もいない。空は相変わらずよく晴れていて、眩しい。頬に触れる風に、心なしか濡れた土のにおいがする。春のにおいだ。

 そうだ。もう春なんだ。

 私ももう真冬用のコートは着ていない。深く息を吸い込んで、大きく吐き出して、また歩き出す。歩きながら、また空を見る。明日の空もきっと、よく晴れて美しいに違いない。



by chicayoshi | 2017-05-03 13:57 | エッセイ | Trackback | Comments(0)
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今日の阿武隈川。

みなさまこんばんは。齋藤です。
本日は、先月福島民友「みんゆう随想」に掲載されたエッセイ
「川よお前を見つめて立てば」
を転載いたします。
なんだかんだ言っても、
「あなたの代表歌は?」
と訊かれたら、きっとこの一首になるんだろうなあ、と思っています。
今年も「桃花水」の季節がやってきました。
では、どうぞ。


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川よお前を見つめて立てば私の身体を満たしゆく桃花水  『桃花水を待つ』


『広辞苑』によると「桃花水(とうかすい)」とは、「(桃花が開く頃に春雨や氷の解け水で川が増水するからいう)春季の増水。」とある。三月を迎え、日毎に春の気配が濃くなってゆくまさにこれからが「桃花水」の季節だ。第一歌集のタイトル「桃花水を待つ」は、そのまま「春を待つ」という思いを込めたものである。「川」は阿武隈川のこと。川に対して「お前」と呼びかけるのはちょっと不自然かもしれないが、私にはこの呼び方が一番しっくりくる。

 子どもの頃から、私の生活の傍らにはいつも阿武隈川が流れていた。自転車通学をしていた中高生の頃には、遠回りを承知で毎日川沿いを走っていた。自転車を漕いでいると、広い河川敷の葭原からいろいろな鳥の声がした。夜に部屋の窓を開けていると、誰かが川岸でトランペットかサックスを練習している音が聴こえてきたこともある。秋口には橋の上に大量発生したカゲロウの死骸が雪のように積もっていて、気味が悪かった。冬は、毎朝白鳥の鳴き声で目を覚ました。

 そして、春。濁っているけれども勢いのよい水の流れと明るい陽射しが、冬の間雪のように冷たく凝った心と身体を、魔法のように解き放ってくれる。この春の水を表す「桃花水」という言葉を知ったのは、大分大人になってからのことだけれども。

 今も週末になると、私は好きな音楽を聴きながら阿武隈川沿いをどこまでも歩く。川の流れに沿って歩いていると、慌ただしい毎日の中でのちょっとしたイライラや考えごとが、少し濁った水と一緒にきれいに流れてゆくような気がする。そして、考えあぐねていた歌の下の句や文章の冒頭部分が、ふっと思い浮かんだりもする。「川よお前を見つめて立てば私の身体を満たしゆく桃花水」という一首ができた時も、やはり毎日のように川沿いをぐるぐると歩いていた。歩みをふと止めて川面を見つめた時に、この上の句は身体の奥底から自然と湧き出てきたのだ。

 私という人間を一番よく知っているのは、阿武隈川かもしれない。「あなた」や「君」ではない。ましてやただの「川」でもない。阿武隈川は私にとっていつも「お前」と呼ぶべき、いわば「相棒」なのだ。


by chicayoshi | 2017-04-02 22:03 | エッセイ | Trackback | Comments(0)

梅一輪

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わが家の白梅もようやく咲きました(なぜか毎年開花が遅い)

みなさまこんばんは。齋藤です。
今夜は、2月に福島民友新聞「みんゆう随想」に掲載されたエッセイ「伝えたかったこと」を転載いたします。
(あまりいいタイトルじゃないなあ)
家の庭の梅の花が咲いていい写真が撮れたら、と考えていたら遅くなってしまいました。
もう3月も終わってしまう……。

では、どうぞ。

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梅の花ひとつ開ける喜びを砂の上描ききれず私は 『桃花水を待つ』


 あなたは梅と桜と、どちらが好きですか。誰かにそう訊ねられたら、桜ももちろん好きな私は少し迷ってから、それでも梅の花を選ぶだろう。紅梅も白梅も、どちらも大好きだ。

少し日差しはあたたかくなったけれどまだまだ寒いな、という頃、首をちぢめて俯き加減に街を歩いているとどこからともなくふっとよい香りが漂ってくる。あの瞬間が、なんとも言えず嬉しい。顔を上げると紅梅の小さな花がふたつ、みっつ、と開いている。梅の花が開いたら、冬の凍りつくような寒さも終わり。春はすぐそこだ。

私が三年間日本語教師として働いていたアラブ首長国連邦という国は典型的な砂漠気候で、季節が「夏」と「冬」の二つしかない。日中の気温が五〇度以上、しかも海沿いであるため湿度も高い「夏」。そして気温も湿度も下がり、時にぱらぱらと雨も降る「冬」。

「冬」とはいえ、イメージとしては日本の五月半ば、という感じだ。朝晩に湾岸特有の濃霧が発生して飛行機の発着が遅れたり、時には「ぱらぱら」どころではない雨や強烈な砂嵐に見舞われたりもするけれど、基本的には天気がよく、過ごしやすい日が続く。この国で初めて「冬」を迎えた時にはほっとした。「夏」の身の危険を感じるような暑さ(そしてその暑さと戦うために冷房がフル稼働している室内の寒さ)に心身ともに疲れていたし、何しろ「夏」の間は暑すぎて、日中の外出もなかなかできなかったのだ。そしてほっとしながらも、そうか、この気候では梅も桜も咲かないな、と妙に納得したのだった。梅も桜も冬の厳しい寒気にさらされなければ、春に花を咲かせることができない。

アラブ首長国連邦での私の仕事は、現地の小学生に日本語や日本の文化を教えることだった。日本語での挨拶や簡単な自己紹介を練習させたり、今や世界中で市民権を得たMANGAを紹介したり、三年間いろいろなことをした。けれど私が彼らに本当に伝えたかったことは、つきつめればたったひとつだったように思う。寒い寒い冬の後に、とうとう開いた梅の花。それを見つけた時、私たちがどんなに嬉しいか――。教えることも伝えることも、ついにできなかったのだが。


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by chicayoshi | 2017-03-23 21:58 | エッセイ | Trackback | Comments(0)

杉の木を見上げて

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今年も一年、お疲れさまでした。

みなさまこんにちは。齋藤です。
いよいよ今日が大晦日。
今年もいろいろありました。
この「みしゅみしゅ」を再開できたのも、
私としては今年の大きな収穫のひとつ。
よかったなあと思っております。
そんなわけで今日は、
ようやく出来上がった年賀状を投函してから近所の神社と、そして神社の杉の木にもご挨拶。
来年も、よろしくね。

今年最後の「みしゅみしゅ」は、先日22日に福島民友の「みんゆう随想」に掲載された
「杉の木を見上げて」
を転載いたします(今回は少々加筆修正あり)。
この杉の木、上半分を伐られた後も元気です。
今はこんな看板が立てられております。

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では、どうぞ。

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伐られたる上半分より雪は降る大杉の幹抱こうとすれば『湖水の南』


 樹齢五〇〇年とも言われている「大杉」は、自宅から歩いてすぐの神社の境内にある。「ある」よりも「いる」と言ったほうが、しっくりくるかもしれない。

 一年中鬱蒼と葉を茂らせている枝からは、姿は見えないのだけれどいつも鴉の鳴き声がした。あまりにも太くて壁のように見える幹には、古くなってはがれた長い樹皮がだらり、だらり、と垂れている。子どもの頃は、この木、なんだかお化けみたいだな、と思っていた。けれど、いつも杉の木はそこに立っていたのである。当時神社の境内にあった鉄棒で苦手な逆上がりの練習をしていた時も、「探検」と称して妹と一緒に社殿の裏側をこっそりのぞいた時も、そして、初詣で柏手を打ち、御神籤を引く時も。高校三年生の冬、東京の大学を受験しに行く前日には、賽銭箱に小銭を放り込んだ後かなり長い時間目を閉じて手を合わせていた。杉の木は、そんな私の「神頼み」もじっと見ていたはずである。境内の地面はうっすらと雪が積もって白くなっていたけれど、杉の木の周りの地面だけは、降ってくる雪が遮られて黒々としていた。無事大学に合格して東京で一人暮らしを始めてからは、帰省する度に一度は神社にお参りに行き、そして杉の木を眺めた。もう「お化けみたいだ」とは思わなくなっていた。

 長年福島市の文化財にも指定されていたこの杉の木が伐られることになった時、私は日本語教師としてアラブ首長国連邦の首都、アブダビで働いていた。教えてくれたのは母である。電話で近況報告をしていたのだった。思わず、ええっ、と大きな声が出た。老化が進んで倒れるおそれが出てきたために、上半分を切断するという。「あんなに立派な木が伐られちゃうなんてねえ」と言う母の声を聞きながら、私も大きなため息を吐いた。オイルマネーで潤っているとはいえ、アブダビは灼熱の砂漠にたった数十年でつくられた都市である。街中どこをさがしても、樹齢数百年にも及ぶ大木を見ることはない。杉の木は、いつの間にか私の心のなかにこんなにも深く根をおろしていた。私はその事実に、この時になって初めて気づいたのだった。

 上半分を伐られてしまったものの、杉の木は今もちゃんと神社の境内の同じ場所に立っている。よかったなあ、と思う。伐られてぽっかりと見えるようになった空から、今年も真っ白な雪が降る。


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というわけで、

今年一年この「みしゅみしゅ」をのぞきに来てくださったみなさま、

ほんとうにありがとうございました。


どうぞよいお年を!!





by chicayoshi | 2016-12-31 16:36 | エッセイ | Trackback | Comments(0)

ぎんなんのにおい

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今年も見事でした。

みなさまこんばんは。齋藤です。
今日で11月もおわり。
ほんとにあっという間ですね。。。

さて、本日は11月10日(木)に福島民友「みんゆう随想」に掲載された、
ぎんなんのにおいを転載いたします。

このエッセイを書くにあたって、
今回は母校の周辺を何度もぐるぐる歩きました。
もう既に随分散っていましたが、
見上げるとやっぱり、公孫樹の樹はやさしい。
この公孫樹の樹たち、きっと子どものころの私を覚えてくれているような気がします。
では、どうぞ。

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公孫樹の木に抱かるる広場ぎんなんの臭いのを笑いながら別れき『桃花水を待つ』


 人間と同じように、樹木にも性格がある。

「種類」ではなく、「性格」。神社などに鬱蒼と茂っている杉の木は、無口でまじめで、何かいたずらをしたら叱られてしまいそうな「性格」。白っぽくてすべすべした樹皮に、いつも大きな葉をひらひらさせているプラタナスは、おおらかで陽気な「性格」。白い花がわあっと咲いた時にはにぎやかだけれど少し恥ずかしがり屋なのは、ちょうどこの季節、小さな葉を真っ赤に染めるドウダンツツジ。

 子どもの頃私が通っていた小学校には、校庭をぐるりと囲むように立派な公孫樹の木が何本も植えられていた。あの公孫樹の木々に囲まれて毎日遊んでいたせいか、私は今でも公孫樹の木は――ことに小学校や公園、街中の広場などに植えられている公孫樹の木は、優しくて子どもが好きな「性格」だ、と思っている。

 この季節になると、公孫樹のあの独特な扇形をした葉の一枚一枚が鮮やかな黄色に色づき、晩秋の青い空を背景にあとからあとから降ってくるようになる。日が傾いて夕陽が差し込むと、黄色の葉はいよいよ輝いてまるで金色だ。降ってくる葉っぱをつかまえようと、木の下で小さな子どもたちがわたしも、ぼくも、と手を伸ばす。葉っぱをつかまえた子が歓声をあげる。やがて子どもたちはつかまえた葉を打ち棄ててサッカーや鬼ごっこを始めるけれど、公孫樹の木はそれでもひらひら、ひらひら黄色い葉を散らし続ける。昔も今も変わらない子どもたちの遊ぶ姿を見下ろしながら、公孫樹の木も楽しそうに笑っている。そう見えるのは、私だけだろうか。

 さて、そんな優しくて子ども好きな公孫樹の木だけれど、唯一の大変な欠点と言えば、やはりあの「ぎんなん」の実の熟したにおいだろう。夢中になって遊んでいるうちにうっかり実を踏んでしまうと一大事だ。慌てて水道まで駆けていって、半べそをかきながら靴の裏を洗う。けれど、つぶれたぎんなんの実がくっついてしまうとなかなかにおいがとれない。早くう、と待っている友だちが呼ぶ。焦って振り返ると、その友だちの向こうに立っている公孫樹の木は、何事もなかったかのように黄色い葉を散らしている。そしてやっぱり、笑っているのだ。




by chicayoshi | 2016-11-30 22:26 | エッセイ | Trackback | Comments(0)

つるばみ色の思い出

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これはまつぼっくり。
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真ん中の赤いのは花水木の実。



みなさまこんにちは齋藤です。
もう10月も終わりですね。福島では朝夕すっかり寒くなりました。

さて、本日は先日福島民友朝刊の「みんゆう随想」に掲載された、

「つるばみ色の思い出」

を転載いたします。

「つるばみ色」ってね。いろいろあるんですが、


では、どうぞ。

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つるばみいろ美しきかな秋の子の手をこぼれたる橡のいろ 「短歌往来」二〇一六年一月号


どんぐり、と一口に言ってもその大きさや色、形は様々だが、子どもの頃の私が特に好きだったのはクヌギの実だ。コナラやシラカシといった細長い形のどんぐりよりも一回り大きくてまんまるな実は、見つけた時の喜びが一際大きい。かき分けた落葉の中で、その一つひとつがどれもぴかぴかに光って見えた。よく「帽子」と呼ばれる殻斗(かくと)も立派である。これはクヌギっていう木のどんぐりだよ、と教えてくれたのは両親だったか、それとも担任の先生だったろうか。くぬぎ、くぬぎ、と呟きながら、友だちや妹と競争するようにして拾い集めた。そうしてどんぐりが両手にあふれるほどになると、ハンカチに包んで宝物のように家に持ち帰るのである。

持ち帰ったどんぐりは大抵丁寧に拭いて泥や砂を落とし、手のひらで転がしながらいつまでもつややかな色と手触りを楽しんでいた。爪楊枝や竹ひごをさして独楽や「やじろべえ」を作ってみたりもしたけれど、あの美しい実の表面に穴をあけたり油性マジックで「やじろべえ」の顔を描いたりするのは、なんとももったいないように思えたのである。そんなクヌギの実も日が経つにつれだんだん色が薄くなり、つやがなくなってくる。乾いた表面にひびが入り、時には穴があいて気味の悪い虫が出てきたりもする。溜息をつきながらたくさんのどんぐりを庭の隅に棄てると、それを待っていたかのように冬の冷たい風が吹いた。

「橡(つるばみ)」とはこのクヌギの実の古名である。そして「橡色」は、古の人々がクヌギの実やその殻斗を煮出して衣類を染めた色のことをいう。煮出し方によって色合いが異なるが、もともとは身分の低い庶民の衣服や喪服に使われた色だそうで、本来はクヌギの実のつややかな色そのものではない。けれど、「つるばみいろ」というやや硬質な響きから私が思い浮かべるのは、どうしても幼いころに夢中になって集めた、あの色なのだ。

「つるばみ」は子どもたちにとって、そして私にとって、毎年秋にだけ会うことができる、小さくて美しくて、優しい友だちである。秋の公園や遊歩道で「つるばみ」を見つけると、私は今でも心がときめくのだ。











by chicayoshi | 2016-10-30 13:41 | エッセイ | Trackback | Comments(0)

さみどりの合歓

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ずっと前に撮った写真より。雨ですなあ。



みなさまこんばんは。齋藤です。
少し日にちが開きましたが、9月6日(火)福島民友「みんゆう随想」に掲載された
「さみどりの合歓」を転載いたします。

ググると写真がたくさん出てきます、「ビルマネム」。

惜しむらくは、どういうわけか現地にいた時に一枚も写真を撮っていなかったこと。
いつかまた、見に行けたらよいのですが。

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さみどりはアラビアの合歓あかね色はふるさとの合歓あかね色咲く『湖水の南』


2007年8月から2010年6月までの3年間、私はアラブ首長国連邦の首都であるアブダビという街で働いていた。日本語教師として、現地の公立小学校に通うアラブ人の子どもたちに日本語を教える仕事である。アブダビ政府と取引のある日本の石油会社が募集していた仕事だった。

外国で暮らしてみたい、という漠然とした思いはあったけれど、「アラビア」に対してそれほど関心があったわけではない。正直に言ってしまえば、アブダビという街がどこにあるのかも心もとなかった。当然アラビア語もわからないし、現地の文化や生活習慣についての知識もない。そんな私がひとつの求人広告を見つけたことをきっかけに3年間現地で暮らすことになったのだから、人生何があるかわからないものである。

アラビア湾(ペルシャ湾)に面したアブダビは、世界一の高層ビル「ブルジュ・ハリーファ」のあるドバイから、自動車で1時間半ほど。ドバイ同様かなり豊かな街である。何より驚いたのは、緑の多いことだった。50度を越える炎天下にも関わらず、街中にナツメヤシの木が茂り、ブーゲンビリアの花が溢れるように咲いている。よく見ると根元にパイプが張り巡らされていて、一日中惜しみなく水がまかれているのだった。

 そんなアブダビでの生活に少しずつ慣れて、どれぐらいたったころだろう。夕刻に海沿いの道を散歩していると、大きな樹がたくさん花をつけているに気がついた。その花は淡い黄緑色で、上質の化粧筆をぽうっとひろげたような姿をしている。見上げていると、海と砂漠の砂のにおいのする風に混じって、甘い香りが漂ってきた。

――ああそうか、これは合歓の花だ。

 調べてみると、この「さみどりの合歓」は「ネムノキ」とは別種で、和名を「ビルマネム」というらしかった。別種とはいえ、日本の「あかね色の合歓」とよく似ている。以来散歩のたびにこの「さみどりの合歓」を立ち止まって見上げるのが、私のささやかな楽しみの一つとなったのである。

この夏も、あちこちで「あかね色の合歓」を見た。アブダビでもきっと、あの「さみどりの合歓」が咲いているだろう。そして私と同じように見上げて微笑んでいる誰かが、いるはずだ。




by chicayoshi | 2016-09-18 20:02 | エッセイ | Trackback | Comments(0)

鬼百合の記憶

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本日、湖水の南にて。

みなさまこんばんは。齋藤です。

本日は、先日8月2日(火)の福島民友「みんゆう随想」のコーナーに掲載されたエッセイ「鬼百合の記憶」を転載いたします。

今日はお墓参りで湖水の南へ。暑かった。。。

また、鬼百合と黄揚羽に会ってきました。


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鬼百合の朱の激しさよ黄揚羽のはたたく音も確かに聴きぬ   『桃花水を待つ』


子ども心に、「おにゆり」って何だか怖い花だなあ、と思っていた。名前のせいばかりではない。色鮮やかな夏の花々のなかにあって、鬼百合だけはまったく異質のもののように感じられた。濃いオレンジ色にたくさんの斑点があるその花は、真夏の日差しのなかで風もないのにゆらゆらとして、まるで生きているように見える。じっと見ていると、やがて揚羽蝶が蜜を求めてやって来た。蝶の翅の黄色は、その力強いはたたきと相まっていよいよ大きく、明るく光る。たった数秒のはずなのに、それはとても長く感じられた。やがて蝶が行ってしまうと、そこには何事もなかったかのように再び鬼百合の花だけがあった。この一部始終に見入っている間、うるさいほどの蝉の鳴き声も山から吹いてくる風の音も、まったく聞こえなかった。

あの揚羽蝶も、きっと私と同じだ。ただ蜜を吸うためではない。鬼百合の花に、呼ばれたのだ。この鬼百合の花だからこそ、飛んできたのだ。私がじっと見つめてしまったように。まだゆらゆらと揺れている鬼百合は、心なしかその斑点の色が濃くなったような気がした。

小学生の頃、毎年夏休みに湖南町にある母方の実家に滞在するのを楽しみにしていた。畑で採ったばかりの胡瓜やトマトにかぶりついたり、猪苗代湖で泳いだり、川で魚を獲ったり、と、毎日が賑やかに忙しくて、あっという間に過ぎてゆく。そんな夏の日に、この鬼百合と揚羽蝶の光景に出会ったのである。本当は、揚羽蝶を捕まえるつもりだったのだ。虫捕り網を持って待ち構えていたはずなのに、ついに揚羽蝶を捕まえることはできなかった。この光景が冒頭の一首になったのは、それから二十年以上が経った夏のことである。

小説も現代詩も俳句も、あるいは評論やノンフィクションもあるなかで、どうして短歌という表現形式を選んだのか。よく尋ねられるこのシンプルな問いに、私はいまだにうまく答えることができずにいる。きっとこれからも答えは出ない。けれど短歌でなければ、幼い頃の脳裏に焼き付いて長年離れなかった光景を――この鬼百合と揚羽蝶との一瞬の邂逅を、形にすることはできなかっただろう。

今年もまた、鬼百合と黄揚羽の季節がやってくる。




by chicayoshi | 2016-08-12 20:45 | エッセイ | Trackback | Comments(0)

アブダビの「熱い」夏

みなさまこんにちは。
暑いですね。。。。。
そして台風が接近中。このブログをご覧いただいている皆様がお住まいの地域は大丈夫でしょうか?

さて、アブダビに行っていた間、日本の家族や友人たちによくメールなどで送っていたのが、
アブダビは「暑い」のではなく「熱い」
という言葉でした。
だってほんとに「熱」かったんだもの。。。
というわけで、今日は福島民報の「ティータイム」に2012年7月に掲載された、
暑い暑いアブダビの夏のお話です(今週掲載の原稿じゃないよ)。
もう2年経ったのか。。。
では、どうぞ。


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アブダビの「熱い」夏


あんまり暑くて自動車のボンネットの上で目玉焼きが焼けそうだ、という冗談があるが、私が日本語教師として暮らしていたアラブ首長国連邦の首都・アブダビでは、ボンネットの上で卵を割ると本当に目玉焼きを焼くことができる。

とにかく夏のアブダビは「熱い」。「暑い」のではなく、「熱い」。雲ひとつない空に、大きな太陽がひたすら照り続ける。特に六月から九月にかけては、日中の気温が連日50度近くにもなる。街全体がアラビア海(ペルシャ湾)に面しているため、湿度はいつも80パーセント以上。5分も外を歩くと、全身汗でびっしょりになってしまうのだ。この「熱い」アブダビで働き始めたばかりの夏、私は同僚の先生とそのご主人にこっぴどく叱られた。

アブダビの公立学校は朝7時から始まり、午前中で授業が終わる。「熱さ」を避けるためだ。授業を終え、子どもたちを下校させると先生たちもすぐに帰宅するのだが、その日私は一人で学校を出て、タクシーを捕まえるために700メートルほど離れた大通りまで歩いたのである。新学期が始まって一週間ほど経っていた。本当は初日からタクシー会社と契約をして毎日通勤の送り迎えをしてもらうことになっていたのだが(自分の車を持っていない場合、電車やバスなど公共の交通機関が少ないアブダビではそれが一般的)、手違いがあってまだ契約ができていなかった。いつも同僚の先生たちが自分の車に乗せて送ってくれていたのだが、いつまでもお世話になるのは申し訳ないし、今日は自分で帰ってみよう、と思ったのである。

時間は午後一時半。ぎらぎらと照りつける太陽の下をのろのろ歩き、大通りに出てタクシーが通るのを待った。しかし、よく見かけるからすぐに捕まるだろう、と思っていたタクシーが、なぜかこの日に限って一台も通らない。あっという間に十数分が経過。額から大粒の汗が滴り落ちて目に入り、あ、と思った時、けたたましいクラクションの音と共に一台の赤い車が私の目の前に止まった。乗っていたのは算数担当のマリヤム先生と、仕事を終えた彼女を迎えに来た、そのご主人。

「乗りなさい!こんなところで何してるの!まさかあなた、学校からここまで歩いて来たの?」

「ダメじゃないか!熱中症で倒れたらどうするんだ!早く乗って!」

 短い時間だと思っても、夏の日中は絶対に外を歩いてはいけない。車がない時には必ず誰かに声をかけなさい。迷惑なんて気にしてはダメ。この街ではみんなそうしているのだから。こんこんと私を諭し続ける二人は、まるで本当の両親のようだった。私が生まれて初めて経験した、砂漠の国の「熱い」夏だった。



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by chicayoshi | 2014-07-09 10:00 | エッセイ | Trackback | Comments(0)

コーニッシュの夕暮れ

みなさまこんばんは。齋藤です。
ゴールデンウィークも終わりましたね。

齋藤も本を読んだり映画を観たり美術館に行ったり、
遠方から訪ねてきてくれたお客様や妹家族と美味しいものを食べたり、
楽しく過ごしました。

さて、今回また掲載情報をアップしそびれてしまったのですが(おい)、
先週5月2日(金)の福島民報「ティータイム」に掲載されたエッセイを再掲いたします。以前にもこのブログや「アブダビ通信」で書いたことのある、「コーニッシュ」のお話です。

では、どうぞ!

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コーニッシュの夕暮れ

 アラブ首長国連邦の首都であるアブダビで暮らしていた頃の私は、コーニッシュ、とか、コルニーシュ、と呼ばれる海沿いを散歩するのを日課にしていた。海はアラビア湾(ペルシャ湾)である。   

爆発的に増え続ける人口に下水の処理が追いついていないため少々濁ってはいるのだが、それでもサンゴの生息する海は鮮やかなエメラルドグリーンをしていて、いつも凪いでいた。約十キロに渡って色とりどりのタイルで整備された遊歩道は、そのままビーチや公園に繋がっている。周辺には青々とした芝生が敷かれ、花が植えられ、ナツメヤシの木が整然と並ぶ。根元には隈なくスプリンクラーが張り巡らされていて、勢いよく水を噴き出していた。

このコーニッシュを歩くのは、冬以外はいつも夕暮れ時。強烈な日差しと海からの湿気がおさまってぬるい風が吹くと、私だけでなく、この街に住む人々はみなコーニッシュに出て来る。

ベビーカーに赤ちゃんを乗せて、幸せそうに公園へと歩いてゆく若い夫婦。かけっこをする幼い兄弟。海を背景にわいわいと写真を撮っている女の子たちは、高校生だろうか。その隣では年老いた夫婦が、しっかりと手を握り合いながら夕陽に光る海を見つめている。彼らは、この砂漠の街にあっという間に高層ビルが立ち並んでゆく様を見続けて来た、まさに生き証人だ。インドやパキスタンから来た出稼ぎ労働者たちも来ている。お世辞にもよいとは言えない労働条件の中で働いている彼らも、一日の仕事を終えてコーニッシュに立つ時の表情は優しい。やがて、モスクから礼拝の時刻を告げる「アザーン」が朗々と響く――。

私が住んでいる間にもコーニッシュでは何度も整備工事が行われ、カフェやドーナツショップもでき、ますます人が増えた。それでも不思議と嫌な感じがしなかったのは、コーニッシュに来て凪いだ海を眺め、ぬるい風に吹かれ、夕陽を浴びているうちに、誰もが年齢も性別も国籍も、忘れてしまうからだろう。日中の過酷な暑さの中で出会う嫌なことも辛いことも、「まあ、いいか」と思える。気がつくと、見ず知らずの者同士が顔を見合わせて笑っているのである。

 今日もコーニッシュにはたくさんの人々が集まって、思い思いに夕暮れを楽しんでいるだろう。再びアブダビを訪れる時には、私も真っ先に飛んでいきたい。あの海は、昔とまったく変わらない表情で凪いでいるはずだ。


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by chicayoshi | 2014-05-06 22:14 | エッセイ | Trackback | Comments(0)

短歌結社「かりん」所属齋藤芳生のブログです。「みしゅみしゅ」はアラビア語で「あんず」のことです。主に齋藤芳生の掲載情報やエッセイなど。最近は写真も好きです。どうぞよろしく。


by chicayoshi