行く川を追いかけたくて

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菜の花。

さて、本日の更新は2本立て。
昨年5月13日の福島民友「みんゆう随想」に掲載された、

「行く川を追いかけたくて」

です。

で、「柳絮(りゅうじょ)」って、これです。

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では、どうぞ。

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行く川を追いかけたくて真っ白に柳絮を飛ばしていたり柳は 『桃花水を待つ』

 

五月のよく晴れた休日、阿武隈川に向かっていつもの散歩道を歩いていると、どこからともなく白い、ふわふわしたものが目の前に飛んでくる。

飛んでくる、というよりも、漂っている、というほうが正確かもしれない。今あちこちで咲いているたんぽぽの綿毛だろうか。それとも、あたたかくなって元気に囀りはじめた小鳥の羽毛だろうか。その白くてふわふわしたものは、もっとよく見ようと目を凝らしたとたんにやわらかな風に吹かれて空高く舞い上がり、まぶしい日差しのなかに見えなくなった。

ああ、それにしてもなんていい天気だろう。少し前まで家を出る時には迷わずコートを着ていたのに、今日はコートを着るどころかもう少し薄着でもよかったかな、と思うぐらいだ。山々の新緑も、もう大分色を濃くしている。

散歩道が阿武隈川に近づいてくると、またあの白くてふわふわしたものが漂っている。気がつくとそれはひとつきりではなく、思いのほか数が多い。あちらこちらにふわふわと漂っていて、道路を行き過ぎる車が起こす風に吹かれるたびに舞いあがっては、またゆっくりと降りてくる。

そのまま歩いて阿武隈川に辿り着くと、川岸はもうその白くてふわふわしたものでいっぱいだ。道の端にはゆっくりと降りてきたそれがたくさん吹き寄せられて、雪が積もったようになっている。しゃがんで手に取ってみると、ほんのりとあたたかい。この白いふわふわのなかには、小さな粒が――とてもとても小さな粒が、ひとつずつ入っているのだ。川岸から風が吹くと、白いふわふわはあっという間に私の手から飛んでいった。

毎年この季節になると現れるこの白くてふわふわしたものの正体を、私は子どもの頃から知っている。阿武隈川の河川敷に植えられている何本もの大きな柳の木が、川風にゆったりとその枝を揺らしながら飛ばす綿毛――柳絮だ。

花の綿毛といえばたんぽぽしか知らなかった子どもの頃、私はこの風に舞う綿毛の白と、「りゅうじょ」という言葉の美しさを知った。川の流れを追いかけるように飛んでゆくたくさんの白い綿毛を日が暮れるまで見送ると、私の春が終わる。


# by chicayoshi | 2018-04-29 22:51 | エッセイ | Trackback | Comments(0)

虹色の雲をさがして



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今年の桜はあっという間に咲いてあっという間に散ってしまった……。


みなさまこんばんは。齋藤です。
あっという間に4月も終わり!GWですね。
新年度の喧騒?も過ぎて、ほっと一息です。
春を通り越して夏が来てしまったかのような福島市、本日の最高気温30度。
でも空気がからっとしていて気持ちのよい1日でした。

さて今回のブログでは、

今月4月10日(火)福島民友「みんゆう随想」に掲載されたエッセイ

「虹色の雲をさがして」

を転載いたします。

「虹色の雲」=「彩雲」って、

これです。

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うっすら虹色になってるの、わかります?
ほんとはもっと鮮やかだったんですけどね~。
うまく撮れてないのは齋藤の写真の腕がいまいちなせい。

荒木健太郎さんのこちらの本に、
美しい写真と共に紹介されています。



では、どうぞ。

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白い凧揚げて子どもがつかまえるぴいんとまっすぐな春のひかりよ「天心」


 眩しい。

 福島盆地でソメイヨシノがいっせいに咲きはじめ、あっという間に満開になりそうだった午後。その、何かに急かされるように一気に始まった今年の春の空があまりにも眩しいので、普段はほとんどかけることのない色の濃いスポーツ用のサングラスをかけて外に出た。花見を兼ねたウォーキングである。住宅街に並ぶ家々の庭から、溢れるように咲いた花々。その間をずんずん歩いて阿武隈川まで出ると、河川敷に植えられた柳の木々もすっかり芽吹いて、あたたかな風に枝を揺らしている。もうツバメたちが来ていて、にぎやかに囀りながら飛び回っていた。かけていたサングラスを一度外してみたが、やっぱり今日はこのサングラスをかけてきてよかったな、と思った。この春の日差しを遮るもののない阿武隈川の土手の上は、そのままでは目を開けていられないぐらい眩しい。


 サングラスをかけてしまうとせっかくの春の光景が白黒になってしまう気がして嫌だったのだが、おかげで私はこの日、とても素敵なものと出逢うことになった。歩いていると、それまで燦々と照っていた太陽に薄く雲がかかった。サングラス越しに見ると、その雲が美しい虹色に輝いているのだ。「彩雲」である。「彩雲」とは雲が太陽の近くを通った際、その光の加減で虹色に色づいて見える現象で、古くからその美しさや珍しさから吉兆とされてきたという。ただ、多くは気づかれないだけで、実はよく見られる現象だ、とも聞いていた。その美しい虹色の雲の写真を一度見てからというもの、いつか本物を見てみたかった。


 ようやく見ることのできた虹色の雲を、もっとよく見たい。そう思ってサングラスを外すと、逆に色がわからなくなってしまった。――眩しい。「彩雲」は雲が太陽の近くを通った時に起きる現象だから、大抵の場合眩しすぎて見えないのだ。この日も、サングラスがなければきっと気づかなかっただろう。


 世界にはきっと、まだまだこの虹色の雲のように素敵なものがたくさんかくれているに違いない。春はそんな素敵な何かをさがしに行くのに、最もふさわしい季節である。「彩雲」は、思いのほか長くその色を留めて光っていた。


# by chicayoshi | 2018-04-29 22:34 | エッセイ | Trackback | Comments(0)

花桃を購いに

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今年もきれい。


みなさま、こんにちは。
こちらではすっかり義無沙汰してしまいました。
受験シーズンも終わり、年度内の仕事も終わって、ちょっと一息。
おかげさまで元気です、はい。

今回は、先月3月3日に福島民友「みんゆう随想」に掲載されたエッセイ
「花桃を購いに」
を転載いたします。
春ですね~。
では、どうぞ。

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雪解けの水にたっぷり濡れている街へ花桃を購いにゆくなり

「ふくしまへ帰る」(「現代短歌」2017年4月号)


 帰宅途中、家に帰ったらこれをやろう、あれもやらなくちゃ、そうそう、あの件はどうなったんだっけ、と立て込んだ仕事のことを考えながら歩いていたら、足元が思いきり滑って見事に――喩えるならばまるで一昔前のギャグ漫画の一場面のように、転んで仰向けに倒れてしまった。道路に残った雪が夜になって再び凍っていたのだ。ゆっくりと立ち上がってコートについた汚れをはたき落し、バッグをひろいあげる。風が冷たい。やれやれと溜め息を吐きながら見上げると、少し前まで星がまたたいていた空からふたたび雪が舞いはじめていた。幸いにして頭を強く打つことはなかったのだけれど、それから数日間は両肩と腰に鈍くて重い痛みが残った。冬の道での考えごとや急ぎ足は厳禁である。


寒い冬だった。ここ数年福島市では真冬であっても気温がそれほど低くなることはなかったし、雪が積もることも少なかったから、連日の氷点下がなおさら心身に堪えたのはきっと私だけではないだろう。雪遊びができるのを妹と一緒に心待ちにしていたのは、もう遠い昔の話だ。そんな寒さに長い間耐えた後だからこそ、この時期、街の花屋さんの店先に水仙やチューリップの花と共に花桃の枝を見つけると、嬉しくて身体の奥がじんわりとあたたかくなってくる。


会津若松に暮らす歌友の本田一弘さんが、「齋藤さんは春の歌人だね」と評してくださったことがある。確かに私は春が好きだ。ことに、ようやく寒さが緩んで、日々の暮らしのあちこちに少しずつ春の気配が感じられるこの季節がいい。初めて出版した歌集のタイトルも『桃花水を待つ』という。「桃花水(とうかすい)」とは、「桃の花の咲く三月ごろ、雪・氷が解けて絵あふれるばかりに流れる川の水」のことである(『日本国語大辞典』より)。この言葉に出会った時、私は身体の奥がじんわりとあたたかくなってくるあの嬉しさを、やはり感じたのだった。美しい言葉に出会った時、そして新しい歌が生まれようとする時。それは私にとって、春の気配を見つけた時の喜びとどこかで繋がっているように思う。


今日は桃の節句だ。今年もまた、街に花桃の枝を買いに行こう。


# by chicayoshi | 2018-04-02 20:19 | エッセイ | Trackback | Comments(0)

短歌結社「かりん」所属齋藤芳生のブログです。「みしゅみしゅ」はアラビア語で「あんず」のことです。主に齋藤芳生の掲載情報やエッセイなど。最近は写真も好きです。どうぞよろしく。


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